【ツール・ド・フランス】ツールとピナレロの歴史
by: 大阪本館

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ニースで起こったテロの影響で、レースの続行すら危ぶまれた第13ステージ。

そんな中、オランダTTチャンピオンのトム・デュムランには及ばなかったものの、総合勢ではダントツのタイムをたたき出したフルームはさすがですね。

 

 

今日は少し目先を変えて、大阪本館が推しているピナレロと、ツール・ド・フランスの歴史を振り返ってみたいと思います。

ピナレロは1960年代からプロチームにフレームを供給していますが、ツールで存在感を示したのは、なんといってもレイノルズ、バネスト時代でしょう。

今年2月に来日したペドロ・デルガド、そして「太陽王」ミゲール・インドゥラインによるツール5連覇を支えたのは、常にピナレロでした。

当時最新の素材であったアルミニウムをいち早く取り入れたケラルライトは、初期のアルミロードを代表する名作です。

 

 

そしてピナレロのアルミフレームの評価をさらに高めたのが、チーム・テレコムとヤン・ウルリヒです。

ケラルライトの流れをくむパリ、さらに軽量化を進めたプリンスを駆って、1997年にツール総合優勝を成し遂げました。

この2つのモデル名は今も残っていますね。

ランス・アームストロングの二番手に甘んじることも多かった選手ですが、ピンクに塗装されたプリンスが印象に残っている方は多いのではないでしょうか?

 

 

2000年代に入ると、フレーム素材はアルミからカーボンに変わっていきます。

バネストはスポンサー変更に伴い、ケスデパーニュ、モビスターとチーム名を変えますが、2013年までピナレロを使い続けます。

2006年にはオスカル・ペレイロがパリ・カーボンでツール総合2位(後にランディスのドーピングが発覚して総合優勝)を達成しました。

 

 

そして2009年に設立されたイギリスのチーム・スカイも、一貫してピナレロを使っています。

2012年には、チーム設立3年目にしてブラッドリー・ウィギンスが総合優勝を達成、しかも翌年にはクリス・フルームが総合優勝という快挙を成し遂げています。

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フルームは、2014年には2度の落車によってリタイアに終わったものの、2015年にはふたたび総合優勝、今大会でも総合優勝の最有力候補と目されています。

 

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ピナレロがジャガーと協力してフレームを設計するようになったのは、イギリスに拘るスカイの影響かもしれませんね。

 

 

ツールの歴史、そしてピナレロの歴史を知ると、レースの見方も少し変わってくるのではないでしょうか。

今日の第14ステージでは、チーム・スカイ、そしてフルームはどのような活躍を見せてくれるのか、楽しみですね!

 

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