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2017/04/21 20:53
CARRERAの設立は89年、ビアンキを筆頭に老舗ひしめくイタリアでは新興メーカーと言っていいでしょう。
90年台にアルミの台頭と、何よりその時代を代表する2人の山岳王が駆ったブランドとして名を馳せたカレラ。
グレッグ・レモン、ミゲール・インデュラインと今なお燦然と輝く総合王者を最後まで苦しめた
山岳王クラウディオ・キアプッチ。
特に92年ツールの山岳コースで8割の距離にあたる200kmを逃げきる走りは驚愕に値します。
ジャパンカップで3連覇している選手でもあるので、私ぐらいか、より年配の方は知名度もけっこうあるはず。
もう一人の山岳王、マルコ・パンターニはカレラを駆って94年にジロで総合2位、ツールで総合3位と
後にダブルツールを制することになる片鱗を見せつけ、一躍トップレーサーの仲間入りを果たしています。
言わずと知れた不世出のクライマーですね。
2人の山岳王に共通するのは、得意の山岳での積極果敢な走りで、幾度となく総合王者を脅かし
彼らの駆ったCARRERAのマシンとともに強烈な印象を残しました。
また、90年台はそれまでフレーム素材で主流だったスチールから急速に新素材であるアルミに移り変わる時期でもありました。
多くのイタリアの老舗ブランドがスチールからの技術の移行に苦しんだ時代、
アルミの名車、初代ハーキュレスやメルキュリオを世に送り出し、高い先進性を示しました。
アメリカのキャノンデールやスペシャライズドが
オーバーサイズのアルミと科学的アプローチを武器にヨーロッパのロードレースに殴り込みをかけた時
自転車王国イタリアで真っ向から受けて立ったブランドなのです。
当時は「軽くて硬い」進むレーシングフレームのアルミと言えばまっさきに上がるブランドがカレラでした。
以外に感じるかもしれませんが、ピナレロとともにカーボンバックを採用するのも早かった覚えがあります。
(ほぼ同時くらいだったような…少なくともピナレロの後追いではなかった記憶があります)
アルミを知るがゆえに、その限界にも早く気づいていたのかもしれません。
故にフルカーボンフレームのリリースもアルミで一時代を築いたブランドとしては早く
03年か04年には出ていた記憶が…。
「軽くて硬い」カレラはまさにロゴ通りの猛禽をイメージするレーシングフレームで、
先に上げた2つとともに象徴的だったのが、アルミフレームの中でもあまりの軽さと高剛性故に
「1シーズンでへたる」「決戦用フレーム」とまことしやかに噂されたブラックナイトを始めとしたナイトシリーズがありました。
当時のイメージとして「軽さと剛性に不満は言わせねぇ!」という尖ったレースブランドでした。
それだけに終わらず、カーボンバックで快適性を求めたり、
スチールモデルのシールドはホビーレーサーにとって適度な剛性と高評価で
先進性と自転車王国イタリアの伝統と懐の深さが
絶妙に溶けあった憧れのブランドの一つでした。
ここでちょっとカレラのブランドの成り立ちについて。
創業者の一人、ダビデ・ボイファヴァはイタリアのロード選手でした。
しかも、そんじょそこらの選手ではありません。
69年に名門モルティニからデビュー。
そう、あのメルクス擁するあのモルティニです。
しかもボイファヴァはプロ1年目にしてジロで区間優勝し、マリア・ローザも着用します。
強国イタリアにあって将来を嘱望された選手でしたが、翌年事故で大きな怪我をしてしまいます。
以降かつての走りが戻ることはなかったそうですが、それでも78年に引退するまで12勝をあげます。
怪我がなければ歴史に残る選手になっていたでしょう。
引退の翌年からプロチームの監督に就任。
このチームは同じイタリアの名選手バッタリンを擁し、81年にはブエルタとジロを制しダブルツールを達成しています。
ちなみに今とレースの日程が違い、ブエルタの終了の2日後にジロがスタートする中での快挙でした。
84年に若者向けのアパレルメーカーのカレラが第一スポンサーに。
89年に甥で長年チームメカニックを務めてきたフランチェスコ・ボイファヴァ、
79年から同チームで走り、メカニックに転向したルチアーノ・バラキの3人でフレーム会社ポディウムを起こします。
よくスポンサーでカジュアルジーンズのカレラが興したと勘違いされることがあるのですが
名監督と選手とメカニックが起こしたボディウム社のブランド名がCARRERA。
歴史的経緯以外にジーンズのカレラとポディウム社のCARRERAとのつながりはなく、経営も独立しています。
誕生からしてバリバリのレースブランドです。
という訳?でワイズロード福岡天神店はイタリアのレースブランド、CARRERAの取扱をはじめました!